古典文学、古い小説、ちょっと前の小説

手塚治虫の漫画より○○の方が面白い。手塚なんて神様なんて言う程のものじゃない」
「お前はジェット機の方が早く飛べるからライト兄弟は凄くないとでも言うのか?」

みたいなやり取りを2chで見たことがある。

逆も然りだろう。現代にライト兄弟の飛行機を復元したところで実用的価値は全くない。教育・研究目的には活用されるだろうけれども。

「漫画はつまらなくなった」というひとの心理。 - Something Orange
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20081205/p1
このサイトで似たような事が考察されていた。

 過去を振り返ってみれば、モーツァルトやベートーベンの新曲をリアルタイムで鑑賞したひともいるはずなのです。あるいはまた、ダ・ヴィンチラファエロの新作をリアルタイムで待ち望んでいたひとも。

 そういうひとたちは、美術や音楽といった文化そのものを改革するような重要な時期にたまたま居合わせたわけであり、非常に幸福な立場にいたといえます。

 もちろん、後世のぼくたちもピカソの絵やストラヴィンスキーの曲を鑑賞することはできます。むしろ、同時代の人間より全体的/総合的にそれらの作品を楽しむことができるでしょう。

 それでも、「次に何が出てくるのか?」というわくわく感だけは、その文化と同時代を生きていなければ得られません。往々にして文化は、既に完成したものを後世から眺めるより、リアルタイムにその成長/成熟の有様を観察することの方がおもしろいのです。

 だからこそ、ぼくたちは完結してもいない漫画を買っては、いつまで待っても次巻が出ないと文句をいったりするわけですね。既に完結したものをまとめて読むだけでは満足できないのです。

さらに言えば、クラシック音楽がそんなに流行っていないのは、後世の音楽がその要素を受け継いでいるからなんだと思う。ロックだろうと、J-POPだろうと、何だかんだで過去の偉大な音楽から間接的に引き継がれてきた発想が基にあって、そういう音楽に幼い頃から晒されているからこそ、本能的に新しさを感じることができず現代人は過去の名曲に感動できないんだと思う。

大飛躍した科学・芸術の衝撃をリアルタイムで感じた人程、後世の人間はそれに感動できない。飛躍は一瞬でも、進歩は毎日続いていて、今手元にあるものは飛躍の直後なんかよりずっと洗練されているから。
でも、現代の自分たちが作り手に変わったとき、ただの進歩だけじゃなく偉大な飛躍に挑戦することも求められる。だから過去の飛躍は学ばなければならない。
でもでも、過去の飛躍なんかより最近の進歩の方が当然面白い。文学作品より今年の一番の方がやっぱいい。


イリヤの空、UFOの夏という5年くらい前のラノベを読み終わってんな事を考えたのでした。これが出た頃はセカイ系って言葉が生まれて熱くなっていたらしい。俺は読書するのなんてここ2,3年の習慣だから噂しか知らない。

「これ、浅羽が吉野を本当に殺しちゃって、その罪が巡り巡って覚悟がない浅羽に降りかかるぐちゃぐちゃ展開にしちゃえばもっとテーマ際立たないかなぁ」とか「終盤、本当に榎本を撃ち殺してその先を淡々と描く」とか。
覚悟がなかっただけ、と少年が自覚して覚悟を決めても、結局は世界は回り続けるし、その覚悟すらまだ生温い。ジュブナイル・若き日々。

本当に殺す展開って、まるでひぐらし祟殺し編だなぁ。あれ読んでなきゃ純粋にイリヤの空も楽しめたのかなぁ、と考える。



古典教養の苦痛の解決策として、誰か古典を大幅に取り入れて軽く現代風に味付けしたものを書いてくれれば、多少のエッセンスは摂取できるし、原書を読み進めるエネルギーにもなるのに。

源氏物語あさきゆめみしでやったり、罪と罰をキラ☆キラで取り上げたり。
古ければ丸パクリでもパクリとすら呼ばれない。新しければ多少は作者のエッセンスが要求される。

太宰治とか宮沢賢治あたりを、世代も一回りしたことだし誰か現代風の味付けでパクった作品書いてくれないかなぁ。テーマは面白そうなんだけど、読書力がないから原書をそのまま読破できる自信がないんです。
太宰なら文学少女シリーズがあったの忘れてた。でも文学少女だと俺には軽すぎる。落とし所が難しいな。