誰もが精神疾患スペクトラムに応じてダイスロールし、相模原45人殺傷事件犯人はクリティカルを引いた

当方、TRPGはリプレイ動画を数回見た程度のニワカです。例えとして上手く使えそうなので用いています。
TRPG部分の細部や表現の多少の誤りはご容赦下さい。




自閉症等の「スペクトラム」という概念はもっと周知されるべき
という趣旨のブックマークコメントで大量のスターを頂きました。

自閉スペクトラム症と統合失調症スペクトラム障害 - A Fickle Child Psychiatrist

記事の趣旨とは違うけど、自閉も統失もスペクトラムの概念普及すべき。健常者でも数%は自閉や統失の因子があって、ストレスで表出する。テンパった健常者に自閉や統失患者と同等の対応をして上手くいくケースは多い

2016/06/15 09:36

自閉症統合失調症、知的障害、発達障害だろうが、明確な線を引いてここから障害者と呼べる区分は、行政の便宜上のものでしかない。
白から黒までのグラデーションのどこかにいる、というだけです。



さらに言えば、真っ白な健常者なんてものも存在しない。
どんな健常者でも先天性の、極僅かな黒みは持っている。
自閉症統合失調症患者の脳に特別な特徴があるという研究成果も出ていますが、それだって、脳の膨大な数の細胞の数個には存在するという形で、健常者も同様に持ち合わせているのではないかと、私は推測しています。
それは日常生活では無視できる程度かもしれない。性格のうちで片付けられるかもしれない。



分かりやすいのは疲れたとき、パニックのとき。アスペルガー統合失調症と似た思考に陥ることはよくある。
テンパると他人がどう考えているかなんて気にする余裕もなくなる、とか
弱気になると他人が自分の悪い噂をしているような気がしてくる。
後ろめたいことがあると、自分のプライベートや秘密が他人にバレていないか疑心暗鬼になるなんてのも。
これらは健常者が持っている自閉症スペクトラムや、統合失調症スペクトラムの極々微量成分だと解釈することも可能だろう。
知能や精神に全く障害のない、スペクラムでいう一番端に位置する人間なんて存在しない。
極論すると、みんな自閉症統合失調症も、因子を持っているのだ。問題はその寡多だけだ。





TRPG風に言い方を変えると、ストレスが降りかかる度に、あなたは統合失調症のダイスロールをしなければならない。健常者であっても、ダイスロールを全面的に免除されるものではない。


他人の視線を感じます、統合失調症の判定です。精神力3以下の人はダイスロールです。あなたの精神力は9ですが、昨日の疲労で-2、友人関係のトラブルで-1、容姿の低さによるコンプレックスで-1、食生活の悪化で-1、低賃金からくるコンプレックスで-1の減少補正があるので、??D100でダイスロールです。
カラコロカラコロ
→気のせいかな?無視しよう。
→何の用事だろう?聞いてみよう。
→何か感じ悪いな。
→俺のこと監視してる?
→あんまりジロジロ見られるから、さらに周囲の別の視線まで気になってきた。
→→→追加ダイスロール
→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→集団ストーカーだ


統合失調症有病率は人口の約1%、なりにくい人、なりやすい人に傾斜をつけて、バランス調整をするなら、どういう数字が適切か、どういうパラメータやバッドステータスが計算に組み込まれるか?
世間一般に統合失調症は他人事と認識される程度には低確率でしょう。ただし、繰り返しますが全面的にダイスロールを免除される人間は存在しません。
出目が悪ければ、バッドステータスが重なれば、あなたももしかしたら……。
これが、私なりの統合失調症スペクトラムTRPG的な例えです。全ては程度問題なのです。




障害者というのは、ただ、そっちの方面の基礎パラが低かったり、間が悪いタイミングでダイスロールでクリティカルを引いてしまった人。
それだけの違いではないのだろうか?




こう、グラデーションの端の人はいないと考えたとき、逆の端、即ち完璧に真っ黒な障害者というのも、現実には存在しないだろうけど、もしも存在したらどんな人になるだろうと想像してみます。
現実に、あまりに知能や精神構造に障害が強すぎる人は、同時に脳の身体機能を司る部分も損傷している可能性が高く、生きていけないと思われます。
重症の自閉症児の生存率は低いです。



仮定として医学の進歩や、奇跡に奇跡が重なって、グラデーションの端なる真っ黒な障害者が生きていたとして、それはどのような存在でしょう?
それは、白さを微塵も持ち合わせない、つまり私たちのと共有できる情動が全て欠落している、SAN値を削られるような、もはやクトゥルフ神話の中の存在ではないでしょうか?



そしてその近傍の、かなり黒の強いけれども奇跡的身体健康や医学や社会福祉の力で何とか生きている人を見た時も、極々弱い判定ながら、SAN値のチェックが起きていると仮定すると?
これは障害者を冒涜する考え方でしょうか?
一般的な怪我人や病人で、生きているのも不思議な程の重症患者を見たとき、「ヒッ」となったりしませんか?誰だってなります。
それと一緒です。



そして相模原45人殺傷事件の犯人は、元来の思想と、諸々のコンプレックスや間の悪さと合わせて、ある日ダイスロールでクリティカルを引いてしまった上で凶行に及んだのではないでしょうか?



この事件の犯人は、司法における精神疾患を患った犯罪者とはみなされないでしょう。ですが、健常者の思想犯か、異常者か、その中間くらいの存在か、そういうのはもっと連続した、クラデーション上の問題です。
今回の例え話は犯人を司法的に裁くのに用いるものではなく、事件が身近なものであるという意識、ひいては明日は我が身という意識を少しでも多くの人に持ってほしいと考えて作った例え話です。




これは、言葉遊びをすれば、異常者が起こした事件ということもできます。
我々は皆、異常者になる因子を持っているというだけです。
これから医学が発展すれば、ますますグラデーションの端に近いのに生き永らえる人は増えます。接する機会も増えます。
そのとき我々がダイスロールで失敗しないために心がけることは何でしょうか?


  知識やスキルで判定に補正をかけること。


  ダメージが蓄積しないような、回復のための息抜き、保険、社会のセーフティーネットの充実。


  運動と瞑想の習慣をつけること。